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森沢明夫先生最新エッセイ「ごきげんな散歩道」出版記念イベント①

2021年9月14日【ファンによる、ファンが作る、森沢先生に送る、感謝イベント】をzoomにて開催しました。
ファンが作る出版イベントは、おそらく日本初!最新エッセイを用意し集まった森沢ファンは、なんと100人!

参加された方、できなかった方ともにたくさんの議事録をみたいという要望のお声をいただき、森沢先生と春陽堂書店様の許可をいただき、特別に議事録を作成しました。

今回のイベントでは、数々の感動ストーリーを生む森沢先生のルーツを深堀りしたり、日々ごきげんにすごす為のヒントをたくさん教えていだたきました。
読んだ皆様の日々がよりごきげんにありますように。

「ごきげんな散歩道」を書いたきっかけ

森沢先生の散歩のスタートは、膝の怪我のリハビリの為。散歩をし始めると50年住んでいる場所なのに知らない道がいっぱいあることに気づき、色々な道を歩き回ったら、たくさんの「発見」があることに気づく。ご自宅の周りには、大きな自然はないが、「たんぽぽが咲いているな」等の小さな自然を楽しむには十分の場所。それが面白くなったタイミングで出版社の方から連載の話をいただき、散歩のエッセイを書くことになった。

衝撃の事実!森沢先生の過去に迫る!

今も昔もネイチャーボーイだった

子供の頃から虫や自然が大好きなネイチャーボーイ。自然が大好きなまま大学生となり、「北海道から沖縄まで、日本全国の綺麗な川を全部泳いで遊ぼう」と野宿をしながら、日本を4周する壮大な旅をされた。道中、野遊びの方法を学んだり海女さんのお手伝い、漁師と巨大なイカを釣りに行ったりと様々なこと経験。
(旅のおもしろおかしいエピソードを綴った本が「あおぞらビール」と「ゆうぞらビール」です。)
その旅行中にバイク雑誌からお声がかかり、旅のエッセイを書くことに。それが森沢先生の人生で初めて世の中に文章を出した経験となる。

人類消滅してしまえと思っていた若かりし過去

遊び心いっぱいでたくさんの感動ストーリーを世に送り出してる森沢先生。当時からポジティブだったのか伺うと、実はそうではなかったとのこと。
若い時は、大人や世の中に常にイライラしていた。大人はすぐ嘘をつくし、子供を馬鹿にする。自己的でしょうもないと思っていた。人類なんて滅びればいいと思いながら日々を過ごしていた。なので学校の先生からの評判は良くなかったそう。
今の森沢先生のイメージからはだいぶかけ離れていますね。森沢先生にもそんな過去があったんだと、一同衝撃でした。

人生を変えた転機

川辺でぼけっとしながら、物思いに耽っていた森沢少年。モヤモヤした感情が渦を巻き、心が停滞し、膿んでいた。「人生に良い風が吹いてこないなぁ」とくすぶっていたが、その瞬間「風が吹いてこないなら、自分で動いちゃえばいいじゃん!」とひらめき、バイトでこつこつ貯めたお金でバイクを買い、テントと寝袋を持って野宿で旅をし始めた。
とにかく風を感じたいと、バイクで様々なところへ向かい、野宿生活を送る。

日本中の山奥や川で寝泊まりしていくと、いろんな方に声をかけられた。その中には「うちでご飯たべてけぇ」「風呂入ってけ」「うちに泊まれ」と言ってくださる親切な方もいた。旅の中で自分の中で断らないルールを決めていたので、全て「ありがとうございます」で受け入れていた。
そして、ある人の家のお風呂に入っていた時に、「人間全滅しなくてもいいかもしれない。面白い人、いっぱいいるじゃん!」と気づき、そのあたりからだんだんと世界の見方が変わっていったとのこと。

当時の働いていた出版社の編集長からある質問をされた。
「旅って、もともとどんな字か知ってるか?」と。
旅という字は、「他人の火」と書く。「火」は「生活」を表す。だから、他人の生活、料理を味わうのが旅なんだ。と教えてもらう。

旅の中で知り合った人とのふれあいや食を共にしたことで、森沢先生の人生が大きく変わり、面白い人がいっぱいいることに気づき人を好きになっていった。そして、様々な旅や人との出会いで、今の森沢先生が形成されていったとのこと。

現状を変えたいという想いから、旅に出て、人と触れ合うことにより森沢先生の心の膿が浄化されていった。なにか変えたいと思ったら行動を起こすという大切さを実感しました。

次のページで森沢先生が本気で答える質問コーナーの議事録を載せていきます。
※今回すべての内容を載せておりません。実際に来てくださった方だけが聞けたことも大切にしたいと思ったからです。
次回イベントを開催する際は、ぜひ一緒に圧倒的な熱量で教えてくださるあれこれを楽しめることを願っております!

 

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