友達のキラキラしたSNSに、自分はなんてつまらない日々なんだろうと焦りと悲しみを抱いたことはありませんか。
スケジュール帳は毎日同じ。仕事は極力したくない。早く帰りたいし、仕事を頑張るよりも遊んでいたい。
こんなことを考えてたことがある方、、、わたしと同じですね‼︎
初めまして。アラサー女子のなつみです。
現在は、都内4店舗フットケアサロン経営、旅行プランのPRのお仕事をしております。SNSでは、読書が苦手な方に本を手にとってもらうきっかけになるため、幸せになれる本を紹介しています。
こんなふうに書くと、昔からバイタリティがあり、仕事ができる人だったのでは?と言われることが多いのですが、実は真逆なのです。
高卒でニートで鬱を経験し、精神科に通う仕事嫌い。しょうもない私でした。
そんな私がなぜ起業をしたのか、なぜ人生を変えたことができたのか、包み隠さず公開したいと思います。読んでくれたみなさんの小さな一歩のきっかけになりますように。
二重人格と通知表に書かれた高校時代
勉強があまり得意ではなかった私ですが、テニスをやりたくてテニスの強豪校に入学しました。ですが、勉強についていけず授業を徐々にサボるようになってしまいました。テニスの練習に対しての熱量と勉強態度との差で、通知表に「二重人格」と書かれてしまいます。私の部活は文武両道を大切にしており、顧問の先生に通知表を見せるルールがありました。震えた手で先生に通知表を渡し、激昂されたシーンは今でも思い出すと背筋が凍ります。
部活だけは3年間一生懸命やってきましたが、3年生最後の大会に選手として出場を果たすことができませんでした。努力してもダメな人はダメ。私のような人間は、努力は無駄なんだと諦め、今まで我慢していたものが火山が噴火したかのように一気に吹き出し、遊びに走るように。
夜、家をこっそり抜け出しクラブに遊びに行ったり、遊ぶお金がほしかったので夜のバイトも経験。友人の家で宴会をし、無断外泊。帰宅した父に平手打ちをされたものそれが初めてでした。(以降一回もされてませんので安心してください笑)
そんな、私ですが家族に喜んでもらいたい気持ちはあったので、スポーツトレーナーの道を志し、専門学校へ入学しました。
低空飛行で過ごす専門学生
専門学校に心機一転入学するも、難しい専門知識ばかりでやはり全く授業に追いつけずな日々。テストはいつも赤点ギリギリの劣等生でした。毎回の試験で赤点にならなければ焼き肉に連れて行ってもらうという、今考えるとたいへん失礼な約束をこじつけ、なんとか赤点すれすれの低空飛行で3年間を送りました。国家試験3ヶ月前になってもなかなか成績があがらず、国試を受けさせるか否かの審査に入ると言われてしまいます。留年はしたくないし、そもそもそんなお金払えないので、先生にお願いをし、ファミレスで個別指導をしていただきました。そして、なんとか合格することができました。
遊びの誘惑に勝てない社会人
国家試験合格後、整形外科で勤務をはじめました。言葉遣いやマナー、技術面でも無知なわたしは覚えることがたくさん。毎日毎日ヘロヘロな日々。入社はわたし一人だけでしたので、できない悩みを共有する人もいない。先輩たちと比べ、自分の出来なささに愕然とし悶々とする日々。社会人を友人より1年早く始めたこともあり、友人のSNSはパーティーやBBQ、平日の旅行など楽しそうに遊んでいる姿が羨ましく、誘惑に負け、再び遊びの世界へ。自分の出来なさや無力感を埋めるように仕事を定時で終えた後、毎日毎日遊び回っていました。
そのうち、仕事にも慣れ、やっと「もっと知識を増やしたい」「先輩たちのようにしっかりした治療家になりたい」と思えるようになり、諸先輩方から教えてもらったり、勉強会に参加したりとだんだん仕事が楽しくなっていきました。しかし、しばらくし、上司からセクハラを受けるように。
そして、日に日に電車に乗れなっていきました。数本電車を見送り、気合を入れて乗った電車も動悸が止まらない。勤務先で朝の準備中に過呼吸や貧血で立ち上がれないなどの体調不良が続き、退職することとなりました。
長いトンネル生活の始まり
退職後、長いニート生活が始まりました。
自分が生きている意味がわからず、夜寝ると布団に沈んでいくような感覚に襲われ、恐怖でパニックに。布団が溶けて底なし沼になるように感じ、眠れないなくなる。やっと眠れて朝が来ると、「はぁ。また朝になっちゃった」と落胆。洗濯や掃除など少し動くと身体が重くなり布団に戻る。そのまま夕方、夜と刻々と時間が過ぎ、なにも出来なかった自分が情けなくなり涙が止まらない。でも、その一方で「そんな自分に浸っているんでしょ」と冷静に見ているもうひとりの自分が冷笑してくる。その頭と感情の格闘でごちゃごちゃになり、高校時代に通知表に書かれた「二重人格」という言葉を思い出す。これが本当の二重人格なのかと思いつめ、ついに精神科に行くことを決意しました。
精神科に行ったはいいものの、自分がここにいることが情けなくなり診察中にパニックになり、何も話せずに帰宅。薬を処方され、服用するも効果を感じられないまま同じ毎日を繰り返す。
自分はこんなにもしょうもない人間なのか。もっと何かできるのではないか。
と考えるも、家事をしようと思っても身体がだんだん重くなり動けない。働いていないのに、ご飯なんて食べられないと、食欲もなくなり1日Youtubeを見て過ごしていました。
今思い出しても、じとっと手のひらに嫌な汗が出るくらい辛く、しんどい日々でした。
人生が変わった日
家にWi-Fiがなかったので、月の初め3日ほどで速攻で通信制限がかかり、近所の図書館に行きWi-Fiを繋いでYoutubeを見る生活。月の3分の2を図書館ですごすことに。しかし、当時は読書が好きではなかったので図書館にいるのにネットばかりみていました。しかし、その日たまたま見た占いをきっかけに図書館で1つの本に出会いました。
その本は「ユダヤ人大富豪の教え」。
その本を読み、雷に打たれたような衝撃を味わいます。
そして、自分を変えたい!とダメな自分を一新するためにYoutubeを封印し、ビジネス書や小説を読み漁り、起業することを決意しました。そして、まずこの生活を変える為に就職をしました。
少しずつ自分が変わっていくことを実感しながら仕事を続けていた矢先、祖父が巻き爪が原因で転倒。足の骨を折るという大事故が起こります。入院し回復を図るものの、持病を抱えていた為予後が悪く、そのまま帰らぬ人に。当時巻き爪が痛いことを電話で相談を受けていた私は、自分に頼って電話をくれていたのに、ちゃんと対応しなかったことを激しく後悔しました。同時に、巻き爪の痛みで困っている人をなくしたい!と巻き爪を治す仕事で起業することを決意しました。
正社員として働きながら、巻き爪の出張を開始。コネがない私は毎週末自転車で周辺の高齢者施設やケアマネジャーに飛び入り営業。初めての営業でやり方もわからず門前払い。自分が何もできない悔しさで自転車を漕ぎながら悲しくなりました。それでも悩んでいる人はあるはずと思い毎週末営業。少しつづ出張依頼をいただけるようになり副業としてやっていきました。
その後、本格的に仕事をシフトしたいと考え、先輩にお願いをし、サロンの空きスペースで店舗営業をスタート。開店して数ヶ月後に来店されたお客様が、起業の理由や仕事に対する思いに共感してくださり、知り合いのお店の空きスペースを使えないかと交渉してくださり、2店舗目を開店。気づけば現在都内4店舗を展開するまでとなりました。
もちろん、トントン拍子で進んでいけたわけではありません。
コロナが猛威を奮いはじめた時、ちょうど3店舗目の開店直前でした。そして緊急事態宣言が発動され、全店舗が休業することに。先の見えない経済にスタッフの給料が払えるか心配になり、少しでも収入を増やそうとバイトをすることに。
自分の仕事時間に影響が出ずにできるだけ長い時間働ける仕事を選び、早朝から営業時間1時間前までできる、清掃のバイトを始めました。その期間約1年。
こんなことで負けるかと毎日毎日歯をくいしばりながら、会社の為、スタッフのため掃除を続けていきました。
蓋を開けてみると、結局いろんな方に助けていただいたおかげで4店舗目も出店することになり、たいへんありがたく思っています。
最終的に何が言いたいかというと、ポンコツでダメダメだった人でも、「変わりたい」と望み、小さな一歩を踏み出せば変われるということです。
ダイヤモンドも最初はだたの石。磨かれれることによってあのような美しい姿へ変わっていくのです。
だから、今がダメでも諦めないでほしい。変われるチャンスは誰でも、すぐ近くにあって気づいていないだけ。チャンスは踏み出そうを決めるからやってくるのです。
起業したい。より良い会社に転職したい。副業したい。習慣を変えたい。もっと素敵な自分になりたい。すべては小さな一歩から新しいスタートが始まります。
だれもがみんなダイヤモンドになれる。そのスタートを今この瞬間に切りましょう!